本の虫とストーリーホリック
珍しく誰に宛てたわけでもない雑記でも。
書籍って分厚ければ分厚いほど倒し甲斐というか食べ甲斐があるディナーのように食欲に近い情動をかき立てられる。これは電子書籍では味わえない経験の1つ
— かや (@xKAYAx) December 2, 2014
先日Twitterでこんなこと呟いていたのだけど、分厚い本が好きなのと純粋に物語が好きであるということが自分のなかでかなりごっちゃになっていることに気付いた。この件に関しては自分の読書との今までの付き合いが大きく影響しているように感じるため、暫し語ってみようと思う。
幼少期からよく本を読む子供だったが、当初から図鑑よりも物語を好む傾向があったような気がする。特に小学校の頃はズッコケ3人組やシートン動物記、そしてダレン・シャン、ハリーポッター等のファンタジー系に傾注していた。中でもネシャン・サーガシリーズのキリスト教的価値観と書籍の分厚さは当時の僕には衝撃的で、終始興奮しながら読み耽っていたことを覚えている。分厚い本を好むようになったのはこの頃からだったろうか。分厚いといえばエラゴンシリーズも相当に分厚い書籍で、国語辞典のような本を2巻同時に買って貰った時はその日から文字通り寝食を忘れて本の世界にダイブしていた。僕は昔から本を読むときは通しで、休憩も挟まずに読み切るのが当然だと思っていたのだが、皆そうではないと気付いたのもこの頃であり、自分の読書、ひいては物語への偏執的な熱を自覚するに至った。この習慣は今でも変わらない。
こうして自分の初期の読書体験をふり返ってみると、始めに登場人物と同様の経験や感情の機微を得たいという物語への欲求があって、それを長期間満たすための分厚い書籍、長編小説への欲求が存在しているように思える。もちろん本の匂いやページをめくる感触もとても好きだけどね。
とまぁ、こんな子供だったからか小学校の時は小説を書いたり[注1]今は懐かしきRPGツクール2000でオリジナルゲームを作ったりしていた。ちなみにゲームの方はダッシュシステムとか自作戦闘システムとか凝ったことをやりすぎて未完成のまま制作終了している。当時は無料素材サイトさんを回りに回ってBGM用のMIDIやドット絵素材を集めていたっけ、なつかしー。
この頃の経験が元になって、今の創作活動に繋がっているのかもしれない。
まぁ、なんだかんだ最終的には結局この一言に尽きるわけです。
やはりフィクションこそ活力
— かや (@xKAYAx) December 2, 2014
※注1 まさしく黒歴史。こいつのせいで未だに物語を書くという行為に忌避感を覚えている